株式会社ハナガタ JA EN

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2024年7月号

米国向け輸出ビジネスの歴史

弊社のL型自動包装機は、現代ではシュリンク包装機の中では定番とされる機械です。その包装機の誕生は、1981年まで遡ります。1975年にオイル・ショックが起こり不況が続く最中、国内外から新型手動包装機や海外製の自動包装機が多く発表され、弊社としても命運をかけた開発を進めておりました。包装機械に求めるニーズを追求した機械を作り上げる為、国内外問わずに様々な情報を集め、多くの試作を作り、検証してバラすことを繰り返し、数年掛けニーズを叶える包装機械が誕生しました。それが、今現在定番とされているL型自動包装機です。では、どのように海外でも「ハナガタモデル」として展開されることになったのか、現弊社顧問であり、前職は 大手総合商社の常務執行役員を務めていた 川﨑氏に当時の状況を振り返り、海外ビジネスの歴史をまとめましたのでご紹介致します。

海外進出への提案

 きっかけは、1983年(昭和58年)10月に東京で開かれた包装展「ジャパンパック」に弊社のL型自動包装機HP-10を展示したところ、大手総合商社の担当者であった川崎氏より、この機械を米国で販売したいという申し出からでした。

 当時川崎氏は合成樹脂包装資材課にて、各種包装資材の国内および輸出販売を担当しており、担当の一つが当時の株式会社興人(現興人フィルム&ケミカルズ)のシュリンクフィルム(商品名「ポリセット」海外では「Korap」)の輸出でした。

 当時Indiana州Indianapolis市にある「Pretty Pak(プリティパック)」社をシュリンクフィルムの米国の販売店として起用しており、更なる販売拡大のため、別企業での実績のある「フィルムと包装機械のセット販売」をPretty Pak社社長のニール・コーハン社長に提案していたが、肝心の包装機械が決定していませんでした。
 シュリンクフィルムに最適な包装機械を探して包装展「ジャパンパック」を訪れていたおり、弊社のHP-10を見学され、米国での販売を申し出をされたそうです。

初めての海外出展

 1983年11月にニール・コーハン社長が来日し、川崎氏と共にユーザーである印刷会社を訪問され、実際に稼働している包装機械を見学いただきましたところ、とても興味を持たれ、翌年1984年11月の米国の包装資材・機械展示会である「Pack Expo」にHP-10を展示することとなりました。

当時と同仕様のHP-10(本社展示)

 Pack Expoは全米で一番大きく歴史のある包装関連資材・機械の展示会であり、シカゴにある「McCormick Place(マコーミックプレース)」という当時全米最大の展示会場で行われました。

 当時米国でもL型シュリンク自動包装機は販売されており、S社・W社という2大メーカーや他中小メーカーが数社取り扱っていました。
 包装フィルムは"塩化ビニル"のシュリンクフィルムが主流で、シール部分は電熱線を使用し、フィルムをシールすると同時に熱で「焼き切る方式」でした。シールする際、塩化ビニルが燃焼するときの白煙や悪臭が出ること、また電熱線にシュリンクフィルムが燃焼しきらず付着した場合、付着した部分でシールが不完全となり包装後の破れの原因になるという問題が発生していましたが、シュリンク包装をする上で当たり前の状態と思われていました。

 弊社のHP-10は「ヒートナイフ」を使用し、フィルムをシールすると同時に熱と圧力で「押し切る」という仕組みだったため、塩化ビニルのシュリンクフィルムを使用しても白煙や悪臭が出ず、フィルムの切断も問題が発生しませんでした。従来の問題点を全て改善し、米国市場では存在しなかった技術として、顧客の興味を引き見学者が後を絶たなかったそうです。

予想を超えた反響

 驚くことに、翌年1985年ニューヨークで開かれた「East Pack(イーストパック)」では、前述のS社、W社ともに、当社と同様のヒートナイフを使った新包装機を「ハナガタタイプ」という名前までつけて出展していました。昨年出展した際、米国での特許申請も検討しましたが、当時の弊社では対応が難しいと判断し申請しませんでした。結果、1年の間にコピー品が大量に発表されることとなったのです。

 翌年1986年のPack Expoでは、さらに数社がヒートナイフ方式の包装機を出展されていました。弊社の技術が認められたという証左ではありますが、前述のS社やW社しかり、米国におけるビジネスのスピードは目を見張るものがありました。またコピー品を作ることに何のためらいもない米国メーカーの厚かましさ、たくましさを認識した機会でもありました。別の見方をすると、競合他社が増加したことにより競争は激化する反面、市場自体が大きく拡大することとなりました。

海外でのニーズと需要

 川崎氏が1984年4月からニューヨーク駐在員となり、弊社の米国での展開を自ら担当し、2~3年のうちに年間100台の販売ができるようにまで市場が成長していきました。その中でも大きな理由が、米国における顧客からのニーズに即座に対応できたことです。

 例えば、平均身長が日本人よりも高い為、包装機の高さが低すぎて作業しにくい問題を機械本体を高く設計し対応しました。また当時は駆動チェーン等に人の手が触れないようにカバーを付けておりましたが、現地の大きい体格のオペレーターが機械に寄り掛かると変形するという問題が発生した為、カバーの素材を分厚いものに変えるなど、様々な対応を米国用として施しました。

 次第にニーズが高まる中で、被包装物がHP-10よりも大きいサイズに対応できる「HP-30」を開発したり、また米国でよく食べられる冷凍ピザの包装をする為、食品の残渣が原因でカビの発生といった衛生上問題から毎日水をかけて機械を洗浄できるように部品やコンベアを全て"ステンレス"で作ってほしいというニーズにも対応したりと、食品分野にも広く浸透していきました。

海外ビジネスの現状

 Pretty Pak社のコーハン社長は高齢に伴い会社をZellerbach社に売却、Pretty Pak社の大半の社員がZellerbach社に移籍した為、代理店として関係は継続することになりましたが、その数年後にZellerbach社はM&Aにより、Xpedex社に買収され、代理店契約もそのままXpedex社に引き継がれました。

 2000年、川崎氏が大手総合商社の米国の部長として赴任した際、Xpedex社が代理店としてうまく機能していないと判断し、別の代理店を探すことになりました。その時に出会ったのが今現在も代理店として米国で活躍いただいているARPAC社(現 nVenia グループ)で、当時のMike Levin社長と対話を重ね、弊社代理店としてに契約する運びとなりました。

1984年に米国に進出し、本年でちょうと40年が経過致しました。その間代理店は変遷しましたが弊社のL型自動包装機は米国において販売を続けており、L型自動包装機と言えば「ハナガタ」として一定の知名度を今尚有しております。

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